段畑

渡名喜集落を取りまく山丘を見ると、山頂に至るまで段々畑跡のあることが確認できます。これは、島の耕地が乏しいことから、明治20年代に食糧増産のために山を焼いて開墾地を広げた結果です。当時、農業は主に女性がたずさわり、段々畑では芋、麦などが栽培されました。段々畑を造成する際に土止の石垣を築いた跡が山付近まで残っています。

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